2024年6月27日

記憶

駅前商店街のアーケード下に、ツバメの新しい巣を発見しました。まだ若そうな親鳥たちがさかんに飛び込んでいくたび、生まれて間もないヒナたちがわれもわれもと哭き叫び、わずかに見える小さな動きが新鮮さをもたらしています。少し遅めなのかもしれません。

時間のながれ…。賞味期限切れのまま冷蔵庫に眠っているパック詰め“黒豆”がありました。“残り物”が気になる質で、仕方ないものだから、アレンジレシピを探し出して“マスカルポーネ”と和えるだけ、所要時間5分の簡単レシピを実行しました。目が飛び出るほどの美味しさ、とまではいかないまでも、しょうゆ小さじ 1 の塩味がいい仕事…ほくそ笑みました。

“前”と“あと”では違いも少なからず。更新された味には格別の思いも生まれてきたりします。ただ、“まえ”の味を思い出したりもして、懐かしくも思うのですよね。“まえ”は“まえ”で、その姿かたちは曖昧だったりしますし、思い出したいという想いが湧き出てきたりもします。

“阪急京都線”の特急に久々に乗り、自分の遠い記憶がぼんやりと浮かび上がってくるのを感じました。もう何十年たっているのでしょう。二十代の話、京都に住まいのあったころです。多ければ週に4、5回京都大阪間を行き来していました。交通の便、最終電車の利用などの諸条件で、専ら急行を利用していたのです。が、たまに特急に乗ることも。そのころの阪急京都線特急は、梅田を出ると十三で停まり、つぎは京都の大宮だったはず。あと烏丸(からすま)、河原町、で終点だった記憶。京阪電車も大阪の京橋の次は、京都の七条。これが、未来永劫変わらぬ定番だと思っていました。今、特急の停車駅は増え…、しかも大宮駅は停車しない。特急に乗りたいがために、少し遠回りで大宮駅から乗ることもあったのに…です。久しく降り立っていないから、どうなっているのか。あの頃の街の風景は印象的で、記憶もかなり鮮明のままあるのだけれど…。機会があれば(ないかなぁ?永久にないかも)、もう一度目にしてみたい。

少し前、そう遠くない老後の話をしながら、乗り鉄同級生と鉄道話していた折、少なからずの違和感を覚えてしまいました。彼は“青春18きっぷ”などを駆使するタイプ。で、私はというと、正雀車庫の脇を爆走する(爽快な気分にさせてくれる)電車の中で窓の外を眺めて少年に帰るタイプ。乗り換えアプリや地図ナビアプリなどを便利に使うだけではなく、外の景色を楽しみたいのです。

あっ、カーテン閉められそうな空気を、いま感じました。…それでは。

またまた、今日もひとりごとでした。

(加藤)