2024年10月17日

秋です。おでかけの続き。

 日曜の晩、駅からの帰り道、いつもの交差点でダンジリ&ふとん太鼓に鉢合わせして、押し寄せてくる人並みをくぐり抜ける羽目になってしまいました。いっそのこと歩道から逸れた駐車場の中に入って、すれ違うのをやり過ごすともちらついたのですが、考えるのも煩わしいほど足(からだ?)の重さを感じ、勢いのまま(押し返すこと 100%不可は必定)無意識のうちに塊の中に身を投じてしまいました。

 ひとの数は多かったのですが、時間も遅かったからでしょうか、思ったほど圧は感じずに押し寄せる群れの隙間をくぐって数十秒の間に抜けきることができました。いつもなら、車もスイスイと行き交う交差点です。夢の中の一幕のような、久々に出会った季節の、非日常の光景でした。

 何日か前の、これまた駅からのいつもの帰り道。様々な秋の虫の声。辻を曲がると…、路面の明るさが変化したりすると…、所々で奏で手が変わる。それぞれに名演奏者たちが興じているような。つい少し前まで、セミの声しか耳に入り込まなかった記憶に、突然のように(ボーッとして気づいてなかっただ
け?)体の内部に染み込んでくるシンフォニー。重い足がわずかに軽くなった、…気がしました。これも季節の移り変わり。

 先日書いた、 ~手塚治虫さんが、生前この新薬師寺を訪れていたであろうこと。最高傑作と呼び声高い『火の鳥 鳳凰編』の最終ページに新薬師寺の石仏群を描いている~ の件について、もう少し…。

 新薬師寺の南門をくぐると、ともに国宝である、本尊“薬師如来さん”と、それを取り巻く“十二神将像”が安置された、これまた国宝の本堂が正面に見えます。門を入った左手すぐのところに数多く大小の石仏群が並んでいる。この石仏群を手塚治虫さんが『火の鳥 鳳凰編』のラストに描いたことだけは間違いないようだ、と関係者が証言しているという記事でした。この記事を読んだのが、随分と前に(たぶん10~20 年前)初めて新薬師寺を訪れたあとのことで、4、5年前に再度訪れた際には、並びも変わり、数も少なくなって、寂しい思いがしていました。お寺の案内栞の境内図には、大量に描かれているのですが…。記事を読む前に見た印象は、無造作に大量の石仏があちこちから集められて、並べてあるだけ…。だけれども、引き込まれるものを感じていた記憶があります。関係者の言では、手塚さんは『カメラの脳』を持つと言われ、鮮明に記憶した石仏を再現したのでは、とのこと。

『アッチョンブリケ』ですよ。 ~『ブラック・ジャック』の“ピノコ”でした。

(加藤)